2008年1月アーカイブ

ランボルギーニ ミウラよく「世界に何台」とか言われてもてはやされる車は多い。生産台数が少なく高値で取引されるそれらは、投機の対象となることも珍しくない。

しかし一方で、幻の名車と呼ばれる車種でも個体によっては、野にさらされ朽ちていく車もあるようだ。

このランボルギーニ・ミウラはフロントにアニマルガードみたいなバンパーがついている。ずいぶん豪気な改造をしたものだが…。

ランボルギーニ ミウラこっちはエンブレムはもちろん、ライトやらフロントグリルやらウィンカーまで取られて無残な姿に。

部品取りに使われたのかなあ。

ただボディのコンディションはこの写真で見る限りは、レストアの余地がありそうに見えないこともない。



フェラーリ・テスタロッサフェラーリ・テスタロッサ

もう何年も禁固刑を食らってるみたい。

たぶん出所の日は来ない気がする。





アルピーヌ A110
その軽い車重とトラクションで1973年のラリーを席巻したアルピーヌA110。ただし、この車はノックダウン生産が出回ってるので、写真の車がフランス製なのかスペイン製なのかブラジル製なのかは不明。

確実なのはもう走れないこと。




デ・トマソ パンテーラ

"イタリアン・マッチョ"デ・トマソ・パンテーラと、向こうにはランボルギーニ・エスパーダが見える。バーベキューする鉄板みたいになったボンネットと、雨による水垢とドロのたまったオーバーフェンダーが悲しい。

あのLPレコードみたいなでっかいクラッチで、フォードV8のハイパワーをドライブシャフトに伝えて爆走していた時代があったはずなのに。



どれもプライオリティの高いスポーツカーばかりだから、かつてはオーナーを乗せて疾走していたときがあったんだろうし、乗らなくなったにしても売却するなり方法はあったんだろうと思うのだが、無残に風化していくこういう車は少なくない。これらの車のオーナー達に何が起きたのかなあと、これらの画像を見ていると人生の機微について考えさせられるのだ。
ポルシェ・カイエンS トランスシベリア世の中にはたくさんの自動車外車とブランドがあって、フェラーリもランチアもマセラティもロータスもアストンマーチンもそれぞれいいんだけど、理屈ぬきに「ここのメーカーのやることは全て正しい」と、あらゆる客観的なネガティヴファクターを無視して恍惚とした表情で言い切れるのは、僕にはポルシェだけである。

これをポルシェ原理主義と言う。

しかしポルシェが、ボクスターの成功で勢いに乗ってRV車のカイエンを出したときは正直わが目を疑った。

ポルシェ・カイエンS トランスシベリア「これはポルシェが出すべき車なんだろうか?」と思ってしまったのだ。ドイツのメーカーでこういうのはむしろBMWあたりに任せておけばいいんじゃないかと思ってたのだが、よくよく考えると、BMWにして
もメルセデスにしてもアウディにしても、近年スポーツカー寄りの車種に力を入れているのだから、むしろポルシェがこういうRVに参入するのは、反撃とも言える必然なのだという結論に達することができた。なんたってわたくしポルシェ原理主義者ですから。


しかしそこはポルシェ。ただRVを出したわけではなく、これでラリーに出ることにしたのだ。これまでもポルシェがプライベーターでのラリー参戦はけっこうあったわけだが、ワークスとしてのラリー参加はたぶん初めてのはずだ。しかも出たラリーはトランスシベリア2007である。8月2日にモスクワをスタートし、シベリア大陸を横断して同月17日にモンゴルのウランバートルでゴールするこのラリーは、距離が約6.200キロあり、夏場とは言えシベリアの大地あり砂漠あり山あり谷あり川あり道なしってコースを突っ走るのだから、並大抵のことじゃない。もちろんカテゴリーとしては「ラリー」ではなく「ラリーレイド」である。

ポルシェ・カイエンS トランスシベリア
カイエンS・トランスシベリアと名づけられたこのモデルは、26台製作されたというから、当初ホモロゲーション関係かな?と思ったら、「全部出場するため」に製作されたどうである。まさしく「カイエン軍団シベリアを行く」だ。

ベース車両はもちろんカイエンのS。ノンターボのモデルで、NA4.8リッターの385馬力。最終減速比はローギヤード化され、リヤディファレンシャルにはロック機構が付き、ただでさえ頑丈で大型なのに、さらに強化と大型化されたアンダーフロアパネルは、防水を本気で考えているのだろう。何せそこらの小川を渡るのとはわけが違う。
下手したら沈むし。

ポルシェ・カイエンS トランスシベリア
その徹底した力の入れようと、26台も寄ってたかって参加したものだから、去年のトランスシベリア・ラリーはこのカイエンSトランスシベリアが1.2.3位を独占し、上位10台のうち7台までを独占し、アクシデントで数台がリタイアした他は、全車完走を遂げるという快挙までやってのけた。

RVという車に、アレルギーとまでは言わないまでも、ゆるやかに敬遠する気持ちを持つ人は少なくない。しかし不思議とその車が、ラリーに出ましたとか、レースで勝ちましたみたいな実績を身につけると、その反動でゆるやかに欲しくなってきてしまうのだ。

ポルシェ・カイエンS トランスシベリアポルシェがこの車で何を狙っているのかと言うと、たぶんカイエンのカレラを作りたかったんじゃないかと思う。モータースポーツにおける実績は、公道での走りでも満足させることを約束する。これは911じゃない。しかしまさしくポルシェそのものなのであることを、奥さんと子供のいるお父さんに訴求するためのテコ入れなのだ。

「これはハンパなRVじゃないんだよ」
それを宣言するためのトランスシベリア参戦だったはずだ。


なので、このカイエンSトランスシベリアは、現在あるカイエンのラインナップ3台の上位車種として、きっと市販されると思う。EUのRV市場において、BMWやアウディと言ったライバルに対峙させるカイエンに、東欧のおそろしく過酷なラリーの名を冠するのは、実にポルシェらしい宣戦布告なのだ。


ポルシェ・カイエンS トランスシベリア
 

ポルシェ911GT3「フェラーリがどんな車を出そうとも、世界一偉大なるメーカーはポルシェである。ポルシェはポルシェであるがゆえにやることなすこと全て正しい」

こういうことを真顔で言うヤツを、「ポルシェ原理主義者」と言う。まあわたくしのことなんですが。

ポルシェの歴史は、第二次大戦目前のドイツにおいて、ヒトラー総統の依頼でフォルクス・ワーゲン(=ドイツ語で「大衆車」)を開発し、戦時中はそれをベースに数々の軍用車両を生み出したフェルディナント・ポルシェ博士がその始まりのような印象があるが、実際にポルシェという会社が立ち上げられたのは戦後であり、しかも創設者は息子である。


ポルシェ911会社創立以来、一貫してスポーツカーとモータースポーツを身上とした車作りをしてきたポルシェが、1948年に初めて出した356から15年目の1963年にして満を持して世に送り出したスーパースポーツカーがポルシェ911である。そしてポルシェはあまりにスーパーで素晴らしすぎるこの911を、マイナーチェンジとモデルチェンジを繰り返しながら、現在に至るまで実に45年に渡って作り続けている。


水平対向エンジンをリアにマウントするそのスタイルは、時代がどう変わろうと頑固に変えず、化け物じみたトラクションを地面に叩きつけて蹴飛ばされるような加速をする車を作る事しか考えてなかったポルシェは積極的にモータースポーツに打って出て、サーキットで培ったノウハウをまた市販の911にフィードバックする。その繰り返しで1973年に2.7リッター210PSにパワーアップされた2687cc空冷水平対向6気筒エンジンを搭載したカレラRS2.7が登場する。このカレラRSをさらに煮詰め、エンジンを230PSにパワーアップしたほか、フェンダーもワイドになり、フロントバンパー/リアスポイラーもさらに大型化されたカレラRS3.0が1974年に登場したことで、911は一定の完成をみることになる。

ポルシェ911またこの時期に、911はここまでにしようと思ったのか、高級車路線に色目を使った928というのを同時に発表する。今までの911の流れをまるでなかったことにするかのように928は水冷V8エンジンをフロントに搭載し、サスペンションは前輪がウィシュボーン/コイルで後輪はトレーニングアーム/コイルでリアにはヴァイザッハ・アクスルという後輪をより安定させる足回りが採用され、内装はあくまで高級な、しかし走りはまごうことなきポルシェであるこの928はユーザーよりも、世界中(アメリカは除く)の自動車会社に強い影響を与えた。しかしセールス面では911を越えることはついにかなわず、928は姿を消し、ポルシェはまた911に力を入れることになる。

しかし、1990年代の前半にポルシェは未曾有の経営危機を迎える。ポルシェの大きなマーケットである北米市場において売り上げの下降に歯止めがかからなくなった。ポルシェの技術の最高峰であり、ポルシェ自身と言っても過言でない911ですらがさっぱり売れなくなってしまったのだ。

ポルシェ911いかにポルシェが、モータースポーツの世界でトロフィーでボウリングができるくらいに勝ちまくっていても、肝心の乗用車の売り上げが不振だとそれは会社存続の危機である。これがマセラティとかランボルギーニとかだったら、「そのうちまたどっかがうちを買収してくれるってばぁハハハ」とのんきに構えているところだが、ポルシェはこの苦境を打開するために、なんとトヨタから経営陣を招き(資本関係はない)、トヨタ式経営に切り替える。

有名なかんばん方式による「カイゼン=改善」である。


ポルシェ ボクスター
かんばん方式によるポルシェの大きな変化は、「部品の在庫は最小限にとどめる」「共通のパーツを多用する」ようになったということである。部品はつねに必要最小限の発注に抑え、毎回毎回パワートレインとシャーシを新たに開発したりせず、あれに使ったパーツをこっちにも使うという、トヨタに限らず日本のメーカーだったら当たり前にやってる生産方式を取った。

逆に言えばいかにポルシェが「頑固一徹技術最優先採算はあとからついてくる」思想で車を作っていたかがわかる。

そうして生まれたのが「超廉価版911」とも言えるボクスターである。元々944の後継車種として考えられていたこの車は、実に良く売れた。例えて言うならめったに捕まえられないライオンの代わりに手軽なネコをたくさん売ることにしたようなもんか。

ポルシェ911トヨタの経営方針を取り入れ、徹底的なコスト管理と合理化を取り入れる過程で、ポルシェは自社の旗艦とも言うべき911の開発にもメスを入れる。93年の993を最後に、空冷エンジンを捨て水冷エンジンに切り替えたのだ。元々928などで水冷エンジンも作っていたからノウハウはあっただろうが、30年目にして初めてポルシェは空冷の911に別れを告げたのだ。そして、やがて駆動方式もRRから4WDに進化させて行くことになる。


お手軽なボクスターの大ヒットにより、ポルシェは完全に息を吹き返し、水冷4WDとなった996は、それまでの911シリーズが恐ろしくコストと手間をかけて作られていたのに対し、トヨタのかんばん方式にならい、車体のフロント部分がボクスターと共通のものを使用したり、コストカットに成功した。心なしかこの時期のポルシェがちゃっちく感じるのだがそれは気のせいである。たぶん。

ポルシェ911
そうして2004年から現行の997モデルがデビューするのだ。さすがに下位モデルであるボクスターと外見まで共通にしてしまうのはあまりにも節操がなさ過ぎると気付いたか、フロント部分を大幅に変更してある。また、時代の流れとして大排気量スポーツカーの変速機のパドルシフトによるセミオートマチック化が進んでも、「我々にはティプトロニックがある」と言わんばかりに、それに追従することもなく、頑固にMTと、ティプトロニックによる変則形式を貫くあたり、「頑固さ」と「自社の技術への矜持」は健在だ。なぜならばポルシェはポルシェであるがゆえに、やることなすことすべて正しいのだから。だからこそ信者はどんな911だろうがひとたび走っているお姿を見かけたら、その(もしかしたら自分にしか見えない)威光に、恍惚と目を細めるのだ。まあわたくしのことなんですが。

ポルシェ911

チゼータV16T去年はハンバーガーといい牛丼といい、「メガ」と呼ばれるものが流行った。要するに中身を倍増したものなわけなのだが。これらに共通するのは「一回食べると満足だが一回で充分」ってことである。

ランボルギーニ・ウラッコという車がある。1970年のモーターショーでデビューしたが、その頃アメリカではポルシェの911が売れに売れて、そのおこぼれをフェラーリ・ディノが貪り食っていた時代なものだから、発売を控えていたら、やがてポルシェはカレラRSを発表するわ、フェラーリは308GT4を発表するわで、市場に食い込むチャンスが一向に訪れず、しびれを切らして73年に発表したはいいが、タイミングを逃したためさっぱり売れなかった車である。

もっともその時代はミウラがそこそこ売れていたし、カウンタックもデビュー間近だったので、あまり気にしていなかったのかもしれない。この両車がなくともあまり気にしてなかったかもしれないが。のんきで尻軽な会社だし。

ちょうどウラッコが発売になる時期までランボルギーニにいたクラウディオ・ザンポーリという人が、ランボルギーニから独立後約10年近くアメリカでディーラーとしてのし上がっていく過程で出会ったのは、同じくイタリア人であり当時ドナ・サマーを始めとするディスコミュージック全盛期を作り出した「ディスコ成金」ジョルジオ・モロダーだった。

チゼータV16T

この二人が一緒になって作った会社がチゼータ(正式名称チゼータ・モロダーSRL)である。チゼータとは(Claudio Zampolli)の頭文字C.Zをイタリア読みにしたもので、モロダーは出資者という形になったらしい。まあアメリカで成功したイタリア人同士が事業を起こすというと何となく「ゴッドファーザー」みたいな「血の盟約」とも言うべき絆を連想するが、この二人にそんなものがあったのかどうかは不明である。特にモロダーには。

チゼータV16T
 二人の共同の目的は「誰も見たことのないスーパーカーを作ろう」と言うことで、まずデザインをマルチェロ・ガンディーニに依頼する。はい、ランボルギーニ人脈ですね。そしてエンジンをランボルギーニ・ウラッコのたぶん不良在庫になってたんじゃないかってエンジンを調達する。とことんランボルギーニである。いいんだけどさ。

チゼータV16T
チゼータはこのウラッコの3リッターV8エンジンを二個つなげて6リッター16気筒にしてしまった。しかもそのエンジンは横置きである。そりゃ誰も見たことないわ。まさしくメガ牛丼の発想である。

チューブラーフレームにそのメガランボルギーニV16気筒エンジンを載せオールアルミ製のボディで武装させたのがこのチゼータV16Tである。

全長4.443mm全幅2.060mm全高1.260mmというサイズは、ちょうど2トントラックを縦に押し潰したようなもんだろうか。その代わり車重はアルミボディが功を奏し1.6トンと10分の1以下である。

チゼータV16T
1989年にモーターショーでデビューしたV16Tは、BOSEのスピーカーを装備したオーディオにフルレザーのインテリアという高級志向の車に仕上がっていた。このフルレザーっていうのが時代だなあ、と思う。今だったらフルカーボンってとこだろうか。

ミッションは5速MTで、568ps/55.0kgmというアメ車っぽいパワーとトルクのバランスのとり方である。キャリパーはブレンボ製なそうだが、たぶんそれでも曲がらないだろうし止まらない車なんじゃないだろうか。

このチゼータV16Tは1台60万ドルで1992年から販売が始まったが、92年というと日本でバブルがはじけた直後である。フェラーリF40に2億円出してた連中がすでに大恐慌に陥っていたものだから、とりあえず日本には2台しか入って来なかった。僕はその1台を見たことがあるのだが、車というよりは陸に上がった船って感じだった。河口湖自動車博物館に保存されている1台は赤だったので、僕が見たのは白だったから本当に2台しか入って来なかったんだろうなあ。

チゼータV16T
ちなみにこのVT16Tを15台だけ生産したあとチゼータは倒産。現在あるチゼータ・オートモービルUSAとの関係は不明である。VT16Tをデザインしたマルチェロ・ガンディーニは、この後V16Tに酷似した車、ランボルギーニ・ディアブロを発表して大ヒットを記録する。最後に笑ったのはガンディーニだけだったというのがメガランボルギーニの顛末なのだ。くわばらくわばら

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